第1回大内蹴鞠ワールドカップ 参加チーム大募集・参加料無料(要事前申込):本事業は、観光庁の補助金を活用した実証事業であり、第1回大会は無料ですが、アンケートへの協力が参加条件となります。

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申込フォーム

申込締切:1月10日(水)

  • 2024年1月21日(日)10:30〜15:30(受付10:00)
  • 会場:山口市 築山跡史跡公園(〒753-0035 山口市上竪小路103-5)※悪天候時は大殿小体育館にて実施/対象:地域の方々、職場の同僚、学校の友人、観光客など、老若男女どなたでも/定員:先着16チーム(1チーム6名)専用フォームからお申込ください

 山口市大殿地区にある、大内氏第13代当主大内教弘の居館跡地に整備された「築山跡史跡公園」にて、「歴史×スポーツ」の注目の新イベント「第1回大内蹴鞠ワールドカップ」の開催が決定!
 中国から伝来し、貴族の嗜みとして発展した蹴鞠は、室町時代には公家だけでなく武家にとっても必要な嗜みとされました。明との貿易で得た財力を背景に栄華を誇っていた西国一の守護大名である大内氏にとって、蹴鞠は修練必須の技芸として、この地でも盛んに行われていたと推測されます。
 そこで、現代版にアレンジした「大内蹴鞠」の世界一を決める大会を実施。地域の方々、地元企業や学校はもちろん、観光客や海外からの参加も大歓迎 !当日は京都より「けまり鞠遊会」をお迎えし、伝統的な蹴鞠のデモンストレーションも行います!みなさまのご参加※1をお待ちしております !

  • ※1 動きやすい服装と運動ができる靴(雨天時は上履き持参)でお越しください。競技会場は屋外となりますので、防寒対策についてもご留意ください。

大会スケジュール

10:00受付開始
10:30開会式〜主催者あいさつ
10:40大内蹴鞠エキシビジョンマッチ
11:00予選リーグ(全24試合)※2
13:15決勝トーナメント(全7試合)
14:30けまり鞠遊会 デモンストレーション
15:00決勝戦 ※3
15:20授賞式〜閉会式
  • ※2 参加チームのみなさまに審判(カウント等)手伝っていただくことがございます。
  • ※3決勝戦は大内氏の時代をイメージした衣装を着用して対戦していただきます。

さらに!スペシャルゲストがやってくるかも?!

大内蹴鞠ルール

  • 1チーム6名。年齢・性別・国籍等チーム編成は一切問いません。
  • 予選リーグを勝ち抜いたチームでトーナメント戦を行います。
  • 1試合の間で3回競技をし、その内1回の競技で鞠を地面に落とさず蹴って繋げた回数が最も多いチームを勝ちとします。
  • 回数が同じ場合は3回の競技の合計数が多いチームを勝ちとします。
  • 鞠は右足のみ※4で蹴ってください。ひとりが続けて蹴るのは3回まで(「一段三足」の作法)で、その場合回数は1回としてカウントします。
  • サッカーでいうリフティングの回数を競うわけではありません。思いやりをキャッチボールすべく、6名でバランスよく回してください。
  • ※4 右足のみで蹴るのが本来の蹴鞠の作法となります。左利きの方は左足のみで挑戦してみましょう。

ゲスト:けまり鞠遊会

2018年京丹波美女山の里にて創立。
日本の伝統文化である蹴鞠の普及、口伝の鞠作りの復活と伝承、および後継者の育成を目的に、全国各地にて体験会を開催。日本の蹴鞠を世界に発信することを目指し、「生涯スポーツKEMARI」としても紹介している。

[画像提供:アトリエ蒼天]

アトリエ蒼天写真

入賞商品

山口県の美味しいものが選べるカタログギフト ほか

優勝

「ぶちうま!山口」カタログギフト
5,000円分×6名

準優勝

「ぶちうま!山口」カタログギフト
3,500円分×6名

第3位

徳佐りんご100%ジュース1L×6名

特別賞

徳佐りんご100%ジュース1L×6名

参加賞

大内塗お箸セット(全員)

蹴鞠の歴史

「貴族のたしなみ」から「武士のたしなみ」、そして「庶民の遊び」へ

参照冊子:蹴鞠のあたらしい『風を興す』 / 製作・著作 アトリエ蒼天

奈良時代
 日本における蹴鞠の初めての記録は『日本書紀』皇極3年(644)の記事で、法興寺の槻の木の下で、のちの天智天皇である中大兄皇子や中臣鎌足らが行ったというものです。奈良時代の蹴鞠はチーム対抗競技的なものであったとも言われています。
平安時代
 9世紀には仁明天皇の弟、忠良親王が天皇の命で蹴鞠に参加して鞠を落とすことがなかったというエピソードがあります。10世紀の『西宮記』の蹴鞠記事からわかることは、鞠数を追求することで数百回を超える記録が残されています。かの有名な、清少納言の『枕草子』、紫式部の『源氏物語』といった文学作品の中にも、たびたび蹴鞠に関する話は登場します。平安後期になるとそれまで遊びごとだった蹴鞠が様式として確立。家の職業としても注目されるようになっていきました。
鎌倉時代
 後鳥羽院は蹴鞠にも力を入れており、水無瀬離宮での蹴鞠において2千回を超えたという記録が残っています。また、後鳥羽院は身分や実力、年齢などに応じて履き物の色を定めた「韈の程品」という決め事を作りました。
室町時代
 宮廷行事として不可欠なものとなっていた蹴鞠は、室町時代には「晴の鞠会」に足利義満といった室町将軍も同席するようになり、儀式的な面がさらに強化されていきました。九州探題だった今川了俊が書いた『了俊大草子』といった武家の故実書にも蹴鞠が取り上げられ、全国的に武士の嗜みの一つとして、とても重視されるようになりました。
 応仁の乱のあとの都では、「晴の鞠会」の様相が一変。蹴鞠の場所も禁中や将軍御所よりも公家の私邸で行われるようになり、蹴鞠は娯楽化していきました。地方から上洛した大名がスポンサーとなり、武家や公家が入り混じって蹴鞠と酒宴を楽しむなど、地方の人々へ蹴鞠が広がっていったと言われています。
江戸時代
 蹴鞠愛好者が地域的にも身分的にも相当拡大します。井原西鶴の好色一代女『侍女の蹴鞠』図や仮名草子『竹斎』の挿絵など、庶民の生活を描いた書物にもたびたび登場しており、庶民の間では「蹴鞠十徳」といって、健康への効用や社会的なコミュニケーション効果、レクリエーション効果など、今の市民スポーツのような位置付けだったそうです。

会場アクセス

山口駅からコミュニティバス8分 → 「野田」バス停下車すぐ
山口駅からJRバス8分 → 「野田学園前」バス停から徒歩約3分

会場は築山跡史跡公園です。(悪天候時は大殿小学校体育館での開催)駐車場には限りがありますので、出来るだけ公共交通か、お車の乗り合わせにてお越しください。

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